自分のためのメモ。
2月27日、午前11時ごろに祖父が亡くなりました。
母方の祖父です。89才でした。
28日と1日、通夜と葬儀のために帰郷。
(この時期に、この記事でブログ更新すると、J庭に新刊が出ない言い訳みたいですけど、
新刊が出そうにないのは、自分の無計画さのせいなので、今回の帰郷とは関係が無いです。)
別に暮らしていたといえど、
母の実家は家から車で5分程度の距離。
実家にいた頃は、それなりに頻繁に行き来がありました。
高校の頃に父と反発し、数日間プチ家出として祖父母の家から学校に通った時期もありました。
祖父は若い頃はかなり激しい性格に思えるほどのエピソードも聞かされていましたが、自分たち孫にはとても優しい人でした。
幼い頃に、祖父の運転する車に乗せてもらって、電車が見える場所に車を止めて、何度も走り去る電車を見に連れて行ってもらいました。保育園に入る前の記憶だと思います。
なんで忘れていたんだろうと思う思い出や、逆になんで思い出せないんだろうと思う事もたくさんあります(もっとたくさん思い出があるはずなのに)。
家の窓からよく知る車のライトが見えて「あ、爺ちゃんら来たよ」と玄関に出て行ったり、とか、(祖父母の)家を新しく建てる時にお風呂場のタイルを選ばしてもらったり、とか…。
ちなみに、祖父は大工さん。その家を建てた時も参加してましたね。近所に家が建つ時にもいたりして、とても、鼻が高かったです。今思うと、あんなに細くて小さい人だったのに、大工さんなんてよくやってたな、とか不思議です。
幼稚園の遊具に小さなお家を作ってくれたりもしてくれました。(他の保護者の方と一緒に)
麻雀に興味を持ったらことを話したら、欲しいとは言ってないのに、昔使ってた牌とマットを新しく買って持って来てくれたりもしました。
一回だけ父との友人を交えて四人で打った事がありましたが、まだ初心者でチョンボの連続でした。もっと、ちゃんと打てるようになって、もっと遊びたかったな、とか思うと同時に、祖父もそうしたかったのかな?と思うと、あまりそういう機会がなかったのが、いよいよほんとに残念です(マットをもらってあまりしないうちに東京に出て来てしまったため)。
東京に来てからも、実家に帰る時は極力顔を見せに行っておりました。帰り際に祖父母揃って家から出て来て、車が見えなくなるまで手を振ってくれた事を、今日兄から聞いて思い出しました。
祖母が先に施設に入って、一人になった祖父。
最後に会いに行った時は、家で一人でいるのが寂しかったのか、 自分の顔を見て嬉しかったのか、自分の前で泣いていました。そんな姿を見るなんて思ってなかったので、とても驚き、どうしような悩んでしまい、ただ肩に手を触れる事しか出来ませんでした。
棺の中での祖父は、最後に見た時よりも小さくなっていた印象でした。
不思議な感じでしたね。知っている顔がまったく生気が無くなって動かなくなっているのを見ると、
それが本物なのか、少し疑わしく思えたり…。人生で何度目かの経験ですが、何度経験しても不思議です。
もう会えないんだな、と実感して、新幹線の中で少し泣いておりました。
隣に座っていたリーマンが眠っていたのが救いです。
今度、帰郷するときは楽しい理由がいいなぁ。
2017年03月04日
自分のためのメモ
posted by 拓ヒラク at 02:15| Comment(2)
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